2部  出雲から攻めあがったホアカリ

no.1  紀記のホアカリ命なんて嘘ッ八もいいとこ!。

tomboさんが「出雲から攻め上がった人物」をホアカリとしたことには
驚いていない。
なぜかというと、神社伝承を辿るとホアカリの行動が浮かび上がるからだ。

出雲の太田市・物部神社から始まって各地の神社伝承を調べた人間なら
「ホアカリが出雲から攻めあがった人物」であることは明白であろう。

ホアカリに物部が随伴したことも、各地で一貫しているよ。
その経路も辿れると思う。
出雲から兵庫⇒尾張⇒北陸。さらに新潟⇒諏訪へ攻めたのであろう。

tomboさんの言葉で驚いたのは、「ホアカリが漢系である」としたことだ。
私は「新漢人(いまきのあやびと)と指摘しているのだが、私の他にも
漢系という方向が示されたことは、うれしい意外性だったね。

ホアカリと大国主との関係は「播磨風土記」の中に書かれている。
「大国主の子がホアカリ」とね。

播磨風土記は出雲関係者の手で作成されたのではないか。
書紀よりも信用が出来る。

で、ホアカリの地位なんだけど大国主に所属した一部隊の王でこれに物部
氏が先導したと見ると良い。

今日の説明では、神社伝承も播磨風土記も見たことのない人には
チンプンカンプンだつたかな。今はクリツク一つで調べることが出来るのだから
早速やつてみたら・・・・。

私自身もホアカリに関して、ストーリーを考えたことがなかったから
今後どのような展開になるか分からない。気が付いた事を話すけど。

いずれにしても裏付けをつけながら話すことは、古代史を語る上では
必須だ。前後左右の糸が繋がることの検証も大切だよね。
人の説を検証する努力も必要なことではないか。

                             倭人 Z


no.2  ホアカリの後裔氏族を検討する。

ホアカリは列島の各地に子孫を残す人物だ。
古代氏族のうちで、葛城氏・紀氏・吉備氏などの滅亡した氏族とは
対照的に後々の世まで氏族後裔が存在していたことを最初に指摘するよ。

私は五世紀末に滅亡した倭国豪族と取って代わったのがホアカリ氏族と
思う。勿論彼らが出雲勢力であつたと考えている。

氏族には尾張連・伊福部連・丹比(蝮・・たじひ)連など姓氏録には大勢の
子孫が見えるし、天孫本紀などにも丹波直がある。

で、まず丹比連を取り上げよう。
この氏族は南河内を根拠地にしていた。出雲から移動してここにやってきた。
出雲風土記には郡領級氏族にちゃんと「ご親戚」がいらつしゃることが書いてある。

出雲風土記を確認してくれ。
ところで姓氏録には「ホアカリの男(むすこ)天香山命の後なり」と書いてある。

同祖の尾張連にも「ホアカリの男・天賀吾山命の後なり」となつているぜ。
どこかで聞いた名前と思わないかい。

「神武紀に出てくる高倉下命は天香山命と名を変えて新潟の開拓にあたり、
弥彦神社の祭神になつたのではなかつたかね。」

ほらほら、段段と糸が繋がってきたよ。1部で神武は出雲人と指摘しておいた。

※ 丹比氏は出雲から中国山地を超えて吉備に進出したのではないだろうか。
広島県三次市には「丹比」という地名と騎馬民族の「高」という地名が残っている。

一方、尾張連は出雲から播磨そして尾張に入った。
尾張連の祖の墓があると播磨風土記に書いてある。

それと一緒に「漢人刀良や伊勢衣縫いの祖らが伊和大神の子、伊勢津彦・
伊勢津媛を祭った」と言う記事もあるよ。

漢人たちは出雲関係者なんだ。伊和大神は大国主の別名。
ほらほら、ここに漢系の話が出てきているよ。

出雲に出来た日本国は漢人を主体とした国で、倭人の国「倭国」を
滅亡させたのだ。  この漢系はスサノオ(渡来集団)が引き連れてきた民(新漢人)
だと思つている。

ついでに、姓氏録には「川内漢人。火明命九世孫否井命の後者。不見」(未定雑姓)
不見とは紀・記にないということだが、うそだらけの歴史書よりも姓氏録記載の
方がよっぽど信用できる。

だんだんと見えてきたものがあるのではないか。
こんなことはだれも教えてくれないよ。    はははは(笑)。

                               倭人  Z


no.3  出雲から攻めあがったホアカリ

日本の歴史書が出雲の神々を国つ神にしているのは、実は大嘘なんだ。
どうしてこのように書いているか理由はいろいろあるのだが、そこを解明しても
しょうがない。(暇な人はやつてみてくれ)

実際はどうなの?

まつたく逆で「出雲の神々が高天原からやって来た!!」というのが正解。
倭国の人々がこの国の土着人で、そこに海外から漢人の王が民を連れて
出雲に上陸して来た。

スサノオは息子のイタケルを連れてきただけではない。
大勢の自分の民(漢人)を連れてきたのだ。

この漢人たちは出雲神を祭祀しているから見分けるのは簡単だ。
例をあげておく。

播磨風土記の漢人刀良・伊勢の衣縫いの祖もそうだが、近江の漢人たちが
出雲神・日枝神社(古事記に出ている)を奉祭しているのも、
出雲から移住して来たスサノオの民である証拠だ。

近江の漢人って・・・・???。というレベルの人が多いと思うが、だんだんと
分かってくるから大丈夫。

スサノオは漢人の王。海外から出雲にやって来た。
でもね。「この国を奪うことはしない」と約束したんだ。

しかし、息子の大国主は違う。 この国を征服する人物。
この大きな流れが分かるかい。  この考えが基本にないとおかしいよ。

「大国主は渡来人の子で、この国を奪う人物」
これを頭にたたきこんでくれ。

大国主がハーフ(混血)だと紀記に書いているけれど、私は違うと思う。
スサノオは桁違いの貴人なんだ。(天照と同等の貴人)

従って、土人の娘と結婚するはずがない。
漢人の有力者たとえば尾張連の祖などの娘の血を受け継ぐ純粋の漢人だろう。

ホアカリも紀などの記述とは異なり、漢人の貴人。ふつうの人とは違う。
先に播磨風土記をあげていたけれど、「因幡の伊福部臣・古系図」は

始祖をオオナムチ・大国主としている。
伊福部臣はホアカリの後裔氏族だ。

ホアカリは出雲を根拠地にした人物で大国主の平定に従事した人物なんだ。

                              倭人  Z


no.4  鹿の話が出ていたが・・・・・・。

鹿が聖なる動物とされたのは、はるか西方の国。
そんな思想が中央アジアの砂漠を通り、敦煌の地に伝えられた。
敦煌壁画には鹿物語がある。

そして、中国からどのようにして日本国に伝えられたかはかなり不明の点が多い。
面白いテーマだけど、七世紀には日本列島の北、奥州に「鹿の壁画」が登場する
ことに驚くだろう。

私などは「漢人(中国人)が来て、日本各地に住んだ」と考えるし、
日本語も旧来の呉音に漢音が後に加わって変化を起こしたと考えるね。

漢音は字から習得したのではない。
となり近所に漢人が住むようになって自然と「山川草木(さんせんそうもく)」と
覚えていったのだろう。

寺社の境内で鹿を放し飼いしている場所があるが意味のあることなのだ。
これは西方思想だよ。

                              倭人  Z


no.5  出雲のホアカリは播磨で死す。

「大国主は渡来人の子、この国を奪った人物。」
列島には古来、「倭国という国」があつた。それが「日本国」に変わるのは
国が奪われたからだ。奪われた時機は倭国滅亡の六世紀初頭だ。

この国の歴史書はそんなことを隠すために時代を逆転して、倭国の歴史の前に
日本国の歴史(六世紀の出来事を出雲神話・神武朝紀と姿を変えて)
書き始めている。

倭国の歴史は崇神紀以後なのじゃないか。
崇神紀以前の記載は実は新しい時代のもの。倭国の歴史ではない。

日本の歴史書は新旧が逆転し、六世紀の日本史が最初に配置されている。
そこが分かると分からないのでは大違い。力量の差であろう。

さて、だいたいの歴史書の作り方が分かった所で今日は新しいことを提言したい。

それは次のようなことである。
「ホアカリは出雲を出立して後、播磨国制圧中に死亡した」・・・・・!!!。

「大国主神に置き去られる」(播磨風土記)ことは死亡したことの暗示である。
同時に「尾張連の上祖・長日子の墓がある」と伝える。
尾張連の上祖はホアカリだ。    ホアカリはここで死んだ。

雄途半ばにしてホアカリの魂は鳥と化し、故郷の地に帰った。・・・・とね。

出雲からホアカリを供奉したてまつつた物部たちは、ホアカリの子・天香山命
(別名高倉下命・紀)を擁して大和に向かう。

高倉下命が吉野で手にした剣は「フツノミタマの剣」。
物部の氏神・石上神社の祭神となつた剣である。

神武紀に書かれている物語は、物部伝承にかかわる物語であると10人が
10人とも言うが、出雲太田市の物部神社伝承まで遡って語る人がいるのかよ?。

物部は大伴傘下の武将で、倭国と訣別して出雲側についたんだ。
それが分からなくては遡れるわけがない。ははははは(笑)。

神武紀において大和の激戦地になつた忍坂は、戦後ホアカリ氏族に与えられた。
「忍坂連はホアカリ命の後者」(姓氏録・未定雑姓)と伝える。

出雲勢力が倭国を滅亡させた。ホアカリの相手は倭国だつた。

・・・大和において出雲関係神社が建てられるのは、日本国樹立後なんだろう。・・・

                      倭人  Z


no.6  出雲の援軍・騎馬民族。

出雲の漢系民族・大伴氏氏族だけでは、倭国豪族を倒すことは困難だった。
そこで、大伴氏は騎馬民族を列島内に招き入れ、日本国樹立を図ったのが
「国引き」である。

半島で大伴氏は高句麗の長寿王に働きかけ、騎馬民族軍隊の導入を計画し
傘下の海族を動員して半島から出雲に騎馬民族軍を運搬する。

この勢力がなかつたら列島を奪うことは出来なかっただろう。
古事記には「大物主神からお前一人では平定不可能」とね。

出雲から攻めあがったホアカリとその後裔たちも騎馬民族の力を借りたのだ。
(古代史をやろうとする人間は目を開いて良く見ること)

播磨へ侵入した出雲軍の左翼を進撃した騎馬民族は「多可郡上・中・下郷」の
地名を残している。
(こま・たか・・・・という地名が出てきたら注意して良くみるとよい。)

兵庫県多可郡黒田庄町には「兵主神社」がある。
兵主神は中国神。
中国神〓出雲神となつていることに、だれも不思議に思わないのか?。
tomboさんがいつているように出雲の神々は漢系なんだ。
スサノオは中国人の王。出雲に自分の民を連れて渡来して来た。
(単身来たのではないのだ。)

兵主神社の由来と所在地は、インタネツトでクリック一発出てくるから・・・
これからも古代史をやる気があるなら地図に入れて見たら!。

ホアカリの進撃路とどこで大きな戦闘が起こったか・・一目で分かるよ。

ホアカリ関連として、姫路らは伊楯兵主神社がある。
tomboさん    「ここは大きな留意点だね」

大和の忍坂にホアカリの後裔氏族・忍坂連がいる。そのお隣は地名「狛」だ。
騎馬民族じゃないのかい。  ホアカリ氏族は騎馬民族の力を借りたのだ。

ついでに丹後だ。ここの海部直はホアカリ後裔でお隣は「日置」という騎馬民族
なんだよ。  分かるかい。
ここの系図がどうのこうのと言う前に出雲を調べろといっているだろう。
意味が分かつたかい。

                       倭人  Z


no,7  出雲の騎馬民族

列島には武将の持つ太刀の柄飾りとしていろいろな系統の環頭図案がある。

私が追いかけているのは、「双龍環頭太刀」で向かい合わせの龍のデザイン。
2匹または4匹の龍が環頭の丸い環の中に収まっている。

この太刀の流布については、日本海側に分布がかたよつているという人もいる。
騎馬民族の頭に与えられたもの⇒と複数の学者はいう。

誰が配布したかについては、出雲をあげる人。 蘇我氏をあげる人。
「出雲の国譲り」を実行したのは、欽明だから(神話の国譲りは欽明紀の出来事)
欽明=蘇我氏とすると配布者の謎も解けるわな。

6世紀始めから7世紀始めまで日本列島で龍をデザインした環頭太刀が存在する。
(映画「卑弥呼」の中で出てくる武将の刀が双龍環頭太刀だつたのにはがつくり)

現在もつともと古いとされているのは琵琶湖西岸・高島の鴨稲荷山古墳出土品。
ここは継体さんのゆかりの地だ。

日本海側、丹後の先端丹後町・高山古墳群12号墳、湯船坂2号墳などから
琵琶湖西岸にかけての街道筋には双龍環頭太刀を出土する古墳が続く。
(高がつく地名。高山、高島、高田は騎馬民族に関連するかもしれない)

ついでにもう一つ、丹後には騎馬民族の水筒・革袋を模した土器(革袋状須恵器)
や角杯がある。宮津・丹後国分寺跡に資料館があるからそこで調べてくれ。

双龍環頭太刀の所で話したけど、欽明は漢人の出雲朝をクーデターで倒し、
倭国復活させた人物と思っている。 蘇我氏だろう。神話の「国譲り」はここに入る。

列島の代名詞「敷島の国」は欽明の宮号「しきしま・金指宮」から名付けられている。
そのことに「どうして・・・?」と着目する人は多いのだ。

「国譲り」のためにはいろいろな方策が取られた。
渡来人を「舎人」に採用したり、諏訪や出雲に治外法権を与えたりとかね。
双龍環頭太刀の配布に蘇我氏がからむのはこの流れなのか。

私的には欽明の代、日本国から倭国に国号が復帰されたと思う。
天智の時代に「(蘇我氏の)倭国」を否定して「日本国」に戻るのだが・・・・。

倭国⇒日本国(出雲朝)⇒倭国(蘇我氏)⇒日本国へと変遷したと思っている。

                           倭人 Z


no.8  出雲から攻め上がったホアカリ

「尾張連の上祖・長日子の墓がある」
播磨風土記の一節にあるこの人物の氏姓はなにか?

案外。「長」が氏ではないだろうか。
古代氏族で「長」を氏とするのは、出雲族(出雲の渡来氏族の総称、漢人・
騎馬民族らをいう)のうち、大国主直系の後裔たちだ。

姓(かばね)は我孫子(あびこ)。
大王家の血筋を意味し、後世の「真人姓」を思わせる姓だよね。

長我孫(子)はつまり出雲族「八重事代主神の後裔」(和泉国神別)と
いうことになつている。

この方がどこにいたのか。
和泉や和歌山にいるんだね。!!!。驚かないのか?

私がこのことを知ったときはひっくり返ったよ。
そして長年の謎が解けたと思った。

五世紀、和泉や紀州は倭国豪族「紀氏」の領地だつたんだ。
紀氏が滅亡した後に「事代主」がやつてくる。
五世紀の倭国豪族の領地を占領したのは出雲なんだ。

その後裔たちが領地としていることを知って、やつと日本の歴史書が年代を
無視し、後世の出来事を古い時代に遡らせていることに気付いた。
六世紀の出来事が神話になつているとね。

追認したいなら「壬申の乱」にでてくる武将たちを確認してください。
七世紀後半の乱の記事には倭国豪族の姿はなく、出雲族の名がある。
倭国豪族が滅亡し、そして出雲族たちが大和に来たのだ。
倭国を滅ぼしたのは出雲の日本国だ。それを確認してくれ。

確認できればあなたの歴史観が変わってくるはずだ。
古代史に興味がある人は一度「壬申の乱」に名がある武将を
調べてみることだね。

                     倭人  Z


no.9  尾張連は出雲族。

尾張連(尾治とも書く)は、従来の尾張地方を治めていた倭国豪族を倒して
この地方に進出して来た出雲族だ。

圧倒的な力をもつて、愛知地方にやって来た。
その象徴的な形象物は名古屋にある「断夫山古墳」だろう。
六世紀初頭の古墳の主は突如としてこの地に姿を現す。

前方後円墳だが前方部が剣菱型をする特殊な古墳である。
調査すれば面白いものが出るだろう。
漢人の故郷を顕わす品物が出る⇒きっと出てくるに違いない。

ここはホアカリ後裔氏族では丹比氏と並ぶ重要氏族なんだ。
出雲朝の累代の重臣と思われるのは「出雲王朝系列に婚姻関係を
築くこと。

丹波から姫君が大和に来るのもそう! 出雲関係者だから出雲朝に
関連するのだ。

尾張連が出雲から騎馬民族の日置氏を引き連れて、名古屋に来たことは
名古屋市中区にある日置神社の存在で分かる。

進入経路は三重県経由であろう。

雄略十八年条には倭国豪族・朝日郎(あさけのいらっこ)の滅亡記事が
記載されている。

物部の武将たちがこの相手として戦った。この物部たちは出雲から
ホアカリを護持して遠征して来た軍勢だ。

騎馬民族氏族もこの伊勢豪族の滅亡に係わったよ。
「朝明史(あさけのふひと)は高句麗氏族」伊勢国朝明郡(三重県四日市市)
の地名に基づく。   戦後の領主となつた。

姓氏録「朝明史。高麗帯方郡主氏韓法史の後也」(未定雑姓)。
皆、姓氏録持っているか? 図書館でコピーしろよ。

激戦地はここだけではない。
愛知地方では兵主神社は豊田市に建てられている。
この神が中国神であると同時に出雲神であることは何度も言っている。

尾張連はホアカリ後裔、出雲の戦闘神である兵主神を祈願して、
ここに神社を建てた。   分かるかい。

信州・甲斐とともに尾張東部には積石塚古墳がある。
これは騎馬民族のお墓なんだ。

                      倭人  Z

no.10   大和と神武(出雲朝の王)

ホアカリが目指したのは倭国の首都「大和」であつた。
雄途空しく途中の播磨で死亡するが、意思を引き継ぎ高倉下命は

神武の伴をして大和攻略に従事する。子孫の忍坂連は激戦地の忍坂を
領地として頂戴した。

神武は大和入りを成し遂げて次のように言った。
「なんと素晴らしい国を手に入れたものよ。・・・・」(神武はこの国の
人物でない・・・・・からこんな言葉になる。)

次に「日本は浦安の国」、「虚空(そら)みつ日本の国」とあるよ。
「日本」国の出雲が大和を制圧したのではないかね。

「倭国を倒したのは日本の国」としてきたよ。

さらに神武紀には「オオナムチ大神はこの国を玉垣の内国と仰せられた」と。
神武とオオナムチ大神は同一人物でないのかい。
俺の説が妄想だというなら反論して見ろ!。

前にも書いたが大和の聖地に兵主神社が建てられた。
大兵主神はスサノオ、兵主神はオオナムチ。若兵主神は事代主神。

中国の神様が祭られる神社だけではない。高麗神社が桜井市に存在する。
なのに天照大神の神社が大和にないのは何故だ。

皇居の祖先神は神名帖に書いてあるが、天照大神ではない。
次は「天照大神考」でもやろうではないか?

tomboさん つきあつてくれて有難う。
なんだかここは糠に釘みたいな掲示板だなぁ。 し〜んとさせてしまつたか。

言及しなかつたがtomboさんの「数字6」も、「燕国」の指摘もいい線いつているよ。
十二支の子(ね)は北、五行は水、五星は水星、五数は6・・・・略。

だけどこの掲示板で分かる人はいないだろう。きらりとしたところがある。
出雲から攻め上がった人物を「ホアカリ」としたことや「漢系」としたことも
的中している。けどミステリアスなところが回りに受け入れられないのかな。

俺ばかり書くと、掲示板に人がよつてこない。・・・から帰って寝るとするか。
じゃな!!。

                        倭人 Z

                 終。